苫米地式コーチング認定コーチ
左近士 祐子です。

「優しい人だよね~」と耳に入ってきたときに
言葉の響きと温度に「違和感」があった。

明らかに「優しい」という言葉が差している先には
優しさを表した「人」に対してではなくて

優しくされた自分自身に対して
相手の行為を指しているように感じたからだ。

つまり
「自分が気分よく(得を)したこと」に対して
相手の「行為だけ」に

「優しい人だよね~」という言葉を使い

自分が得をしたことだけの
嬉しさを表現しているように感じ
表面的な薄いペラペラの手触りがあった。

優しさを感じた相手のハート(想い)を見ていないのだ。

その優しさを手渡した人の
「どんな想いが込められて」いるのかを見ずに
自分が「気分よくあれた」こと「だけ」に浮かれている。

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このような感じで人を「優しい」と認識してしまう人は

自分の望むことを相手がしてくれなかったこと
望むことを言ってくれなかったことに対して

その行為にモノを申すのではなく
行為を行った人そのもの
相手の人格を強烈に否定をしたりもする。

あの人は最低だの
あの人はダメな奴だの
あの人は馬鹿だの

人格(存在そのもの)にたいして攻撃力が高い傾向にある。

この傾向にある場合

人と人との関わりを
「損」か「得」かという判断基準が上位にきている。

それぞれ人との関わり合う判断基準は無数にあり
これは私たちの心の中で
常に揺れ動いているものであって

悪い考えだとか、良い考えとかではなく
人として持ち得ている生存機能の一部分なのですが

人付き合いの中で
気分の浮き沈みが激しいときは
「自分しか」見えていないことがあります。

そんな場合にある自分に気づいたならば

自分と相手との間に
自分のどんな想いがあり
相手のどんな想いがあるのか?

「相手と何を共有し創り上げていきたいのか?」をイメージしてみると
人を「優しい」と感じることにたくさん触れることになる。

そしてね
「優しさ」を感じ、たくさん触れるようになると

あなた自身も無意識に
「優しさ」をたくさん周りの人に感じさせるようになり
日々は、ワクワクとても楽しくなる。

ブログ5-3
最後まで読んでいただきありがとうございます。

心から感謝を込めて。
左近士 祐子

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